【慶州】世界遺産・石窟庵へ。1300年前の花崗岩ドームに、言葉を失う

「世界遺産 石窟庵 石窟」と刻まれた石碑 旅行

サービスエリアで一息入れて、慶州で最初に向かったのは吐含山の中腹に建つ石窟庵(ソックラム)。ユネスコ世界遺産に登録された、新羅仏教芸術の頂点と呼ばれる石窟寺院である。

山の中腹まではレンタカーで上がった。石窟庵は韓国の国宝第24号(1962年指定)で、1995年に山を下りた先の仏国寺とあわせ、「石窟庵と仏国寺」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

石窟庵の駐車場と入口の楼閣。平日でも観光客の車で賑わう(慶州)
「世界遺産 石窟庵 石窟」と刻まれた石碑

1300年前の技術に、言葉を失う

参道の案内板には日本語の解説もあった。建立が始まったのは751年。新羅の宰相・金大城が、前世の父母のために建てたと伝えられる。方形の前室と円形の主室を廊下でつなぎ、360余りの花崗岩を精密に積み上げてドーム型の天井を組む——鉄筋もセメントもない時代の話だ。

本尊の如来坐像は高さ3.45m。その周囲の壁面には、菩薩、十大弟子、八部衆、金剛力士、天王などが浮き彫りにされていて、石窟内の彫像は全部で39体あるとされる。

石窟庵の案内板。751年に金大城が建立を始めたこと、360余りの石でドーム天井を組んだことが日本語でも解説されている
石窟庵石窟の平面図と断面図。方形の前室と円形の主室からなる構造

石窟の内部は撮影禁止。ガラス越しに対面した本尊の如来坐像は、一つの花崗岩から彫り出されたものだという。あの硬い石を、どう彫ったのか。そもそもこの巨石を、どうやって山の中腹まで運び上げたのか。1300年前とはとても思えない造形を前に、疑問ばかりが湧いて、答えの代わりに静かな圧に打たれる。写真に残せないことが、かえってこの場所の記憶を濃くしている気がした。

なぜガラス越しなのか——石窟庵が通ってきた100年

あとで調べて、ガラス越しになっている理由を知った。そしてそれは、この石窟が1300年を無事に越えてきたわけではない、という話だった。

1909年、豪雨を避けて山中に入った郵便配達員が、偶然この石窟を見つけた。そのときの石窟庵は崩壊寸前で、天井が抜け、仏像に雨が直接当たり、半分以上が土に埋もれていたという。1913年から1915年にかけて三度の大規模な修復工事が行われ、そこでは当時の新素材だったセメントが使われた。

朝鮮戦争のあと再び放置され、1961年から1963年にかけて韓国の文化財管理局が補修に入る。このとき湿度の問題に対処するため、後部をセメントで塞ぎ、前面を全面ガラス張りにして人工的に除湿する方式が取られた。1961年に建てられた木造の前室も、換気を妨げる要素として指摘されている。

そしてガラスで仕切られているもう一つの理由が、見物客が吐き出す二酸化炭素などによる花崗岩の損傷だった。私が「硬い石をどう彫ったのか」と考えていたその石は、人の息で傷むほど繊細な状態にある。

751年の建立に、たしかに鉄筋もセメントもなかった。けれどいま目の前にある石窟庵には、20世紀に入れられたセメントが含まれている。1300年前の技術に言葉を失ったあとで、この100年の手当ての跡を知ると、感心の向き先が少し変わる。

岩山に寄り添うように建つ石窟庵の入口のお堂。この奥に本尊の石仏が安置されている(内部は撮影禁止)

参道の燃灯と、山の眺め

堂の外に出ると、参道にはピンクや黄色の燃灯(ヨンドゥン)がびっしりと連なり、一つひとつに祈願の札が下がっていた。振り返れば慶州の山並みが遠くまで見渡せる。仏の視界は、思っていたよりずっと広い。

8月の訪問だったが、参道は程よく草木が生えた道で、日差しが遮られる。ちょうど良い気温のなか緑に囲まれて歩くのは、気持ちが良かった。ガラスの前も、人はいたけれど流れていて、列に並んで順番を待つような混み方ではなかった。駐車場に戻るまでで、滞在は1時間前後だった。

祈願の札が下がるピンクと黄色の燃灯(提灯)のトンネル(石窟庵)
石窟庵の参道から望む慶州の山並み。眼下に色とりどりの燃灯の屋根が見える

この日のメモ

  • 石窟庵(ソックラム)は新羅時代の751年、宰相・金大城(キム・デソン)が建立を始めた石窟寺院。当初は「石仏寺」と呼ばれた(現地案内板より)
  • 方形の前室と円形の主室からなり、360余りの花崗岩を積んでドーム天井を組む。本尊の如来坐像は一つの花崗岩から彫られている
  • 1995年、仏国寺とともにユネスコ世界文化遺産に登録。石窟内部は撮影禁止
  • 拝観は駐車場から参道を10分ほど歩く。開場時間等は慶州市の公式観光サイトで確認を(情報は訪問時点のもの)

山を下りれば、同じく金大城が手がけたもう一つの世界遺産・仏国寺が待っている。

伝えられているところでは、金大城は石窟庵を前世の父母のために、仏国寺を現世の父母のために建てたという。前世と現世、二つの願いが一つの山の上と下に分かれて建っていて、どちらも世界遺産になった。仏国寺が完成したのは、金大城の死後の774年だとされる。

石窟庵について、よくある質問

石窟庵はどんな場所ですか?

吐含山の中腹に建つ石窟寺院です。現地の案内板によれば、新羅時代の751年に宰相・金大城が建立を始め、当初は「石仏寺」と呼ばれていました。

建築の何がすごいのですか?

方形の前室と円形の主室を廊下でつなぎ、360余りの花崗岩を精密に積み上げてドーム型の天井を組んでいます。セメントも鉄筋もない時代の仕事です(20世紀の修復で入れられたセメントは別の話です)。本尊の如来坐像は、一つの花崗岩から彫り出されたものだと説明されていました。高さは3.45mで、周囲の壁面には菩薩・十大弟子・八部衆・金剛力士・天王などが浮き彫りにされ、石窟内の彫像は全39体とされています。

堂内は撮影できますか?

石窟の内部は撮影禁止で、本尊にはガラス越しに対面します。写真に残せないぶん、かえって記憶が濃く残りました。

なぜガラス越しなのですか?

1961〜63年の補修で、湿度の問題に対処するため前面を全面ガラス張りにして人工的に除湿する方式が取られたためです。加えて、見物客が吐き出す二酸化炭素などによる花崗岩の損傷も指摘されています。

駐車場からどのくらい歩きますか?

参道を10分ほど歩きます。道の両側にはピンクや黄色の燃灯(ヨンドゥン)が連なり、一つひとつに祈願の札が下がっていました。振り返ると慶州の山並みが遠くまで見渡せます。

仏国寺とセットで回れますか?

回れます。仏国寺も同じ金大城が手がけた寺で、1995年に石窟庵とともに世界遺産に登録されました。山を下りればすぐです。開場時間などは慶州市の公式観光サイトで最新をご確認ください。

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※2026年8月訪問。価格・営業情報は訪問時点のものです。発見と修復の経緯(1909年の発見、1913〜15年および1961〜63年の修復、ガラス張りと除湿の理由)、国宝指定と世界遺産登録、本尊の大きさと彫像の数は、現地案内板のほか公開されている解説資料で確認しました。

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