同じ日に、勝った記念の寺と、負けて壊された寺を続けて見た。そういう順番になっていたことに、あとから気づいた。

朝八時半、白い涅槃仏の前に立つ
アユタヤで最初に入ったのがワット・ヤイチャイモンコンだった。時刻は八時半すぎ。
境内の一角に、白い布をまとった涅槃仏が横たわっている。屋根はない。青空の下にそのまま置かれていて、背後には煉瓦の遺構が続いている。朝の光がまっすぐ当たっていた。
この寺は一三五七年、アユタヤを開いた初代ウートン王が、セイロン(現在のスリランカ)で学んできた僧たちの瞑想のために建てたとされる。
高さ七十二メートルの塔は、勝利の記念だった
境内の中央には大きな仏塔が立っている。高さは七十二メートルとされ、市内で最も高い。
これは一五九二年、十九代ナレスワン王がビルマのホンサワディー王子と象に乗って一騎打ちを行い、勝利したことを記念して建てられたものだという。象の上での一騎打ちで国の趨勢が決まった、という話がそのまま塔になっている。
この日の午前、私は象の背に乗っていた。二人乗りの鞍に一人で乗って、揺れに難儀していた。あの上で戦ったのかと思うと、話の現実味が少し変わる。

十時半、三基の塔が並ぶ場所へ
次に立ったのがワット・プラシーサンペットだ。煉瓦の土台の上に、釣鐘型の仏塔が三基、等間隔で並んでいる。
ここはアユタヤ王宮の中にあった、最も重要な寺だった。バンコクでいえばエメラルド寺院にあたる位置づけになる。ボロムトライロッカナート王が一四四八年に旧王宮の敷地を寺域に改めたのが始まりで、三基の塔はそのあとに建っている。一四九二年にボロムトライロッカナート王とボロムラーチャ三世王の遺骨を納める二基、一五二九年にボロムラーチャ四世王のもとでラーマーティボーディー二世王のための一基。三基とも王のもので、王子のものではない。
寺の名は、かつてここに置かれていた仏像から来ている。高さ十六メートル、台座八メートルの立像で、発願したのはラーマーティボーディー二世王。約六十四トンの青銅の芯を、およそ三百四十三キロの金が覆っていた。完成まで三年以上かかったという。その名を「プラ・シーサンペット」といった。
一七六七年に、すべて壊された
その仏像は、いまここにない。一七六七年のビルマ軍による第二次アユタヤ侵攻で堂に火が放たれ、金は溶かし取られた。三基のうち二基が破壊され、東の一基が残った。いま見えている姿は、一九五六年にタイ芸術局が修復したものだ。
午前中に見た七十二メートルの塔は、ビルマに勝った記念だった。そのおよそ百七十五年後に、同じ相手に王都が焼かれている。二つの寺を続けて歩くと、その落差が地面の上に並んでいるのが分かる。
遺跡というと時間が止まった場所のように思っていたが、実際には勝ち負けの順番がそのまま残っているだけだった。
この日のメモ
- ワット・ヤイチャイモンコンは1357年、初代ウートン王がセイロン帰りの僧の瞑想のために建てたとされる
- 高さ72mの仏塔は、1592年にナレスワン王が象上の一騎打ちでビルマに勝利した記念
- 白い布をまとった涅槃仏が屋外に横たわっている
- ワット・プラシーサンペットは1448年、ボロムトライロッカナート王が旧王宮の敷地を寺域に改めたのが始まり。アユタヤ王宮内で最も重要な寺だった
- 三基の仏塔は1492年に二基(ボロムトライロッカナート王/ボロムラーチャ三世王)、1529年に一基(ラーマーティボーディー二世王)。いずれも王の遺骨
- 本尊プラ・シーサンペットは高さ16m・台座8m。約64トンの青銅を約343kgの金が覆っていた
- 1767年のビルマ軍による第二次侵攻で焼かれ金は溶かされた。二基が破壊され東の一基が残存。現在の姿は1956年にタイ芸術局が修復したもの
- この日は八時半すぎと十時半すぎに、それぞれ訪れた
- 拝観時間・料金は変わることがあるので、現地で確認を
※2025年8月訪問。拝観情報は訪問時点のものです。


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