横浜の新港ふ頭に、客室が海に向かって並ぶホテルがある。インターコンチネンタル横浜Pier 8。何度か泊まっているし、朝の海を見ながらコーヒーを飲む時間が好きなのだが、この場所には、そう頻繁には行かない一軒がある。三階の鮨処「かたばみ」だ。特別な日には、ここで食事をすることにしている。
店はホテルの中庭に面していて、カウンターは九席だけ。夜になると、ガラスの向こうの植栽が黒く沈んで、その手前に自分たちの姿がうっすら映る。客席のざわめきが遠い。埠頭に建つホテルの、いちばん静かな場所かもしれない。

ウニ、イクラ、そして海苔
目の前で、鮨種が整えられていく。白木のカウンターに置かれる小さな板の上で、包丁が入り、刷毛が動き、握られて、そっと差し出される。この距離で食べる鮨は、味の前にまず所作を食べているようなところがある。
ウニとイクラは、やはり格別だった。海の甘さが舌の上でほどけて、後から潮の香りが立ち上がってくる。とりわけ印象に残ったのは海苔で、口に入れた瞬間に磯の風味が広がる。軍艦の海苔が、ここまで主役になれるものなのかと思った。

この日は、娘のために生のタコも用意してもらった。加熱していないタコは、噛むほどに甘みが出る。娘は大喜びで、私たちの分まで狙うような顔をしていた。子どもの好物を覚えていてくれる店は、それだけで特別な店になる。
盆に乗った、神奈川十四蔵
この夜のもうひとつの楽しみは、地酒の飲み比べだった。六種。木の盆に小さなグラスが並び、その手前に、蔵の名を記した札が置かれる。

相模灘、盛升、おふしょあ、残草蓬莱、いづみ橋、熊澤。並んだ名前を眺めていて、あることに気づいた。神奈川の蔵ばかりなのだ。相模原の久保田酒造が造る相模灘、厚木の黄金井酒造の盛升、愛川の大矢孝酒造の残草蓬莱、海老名の泉橋酒造のいづみ橋、そして茅ヶ崎の熊澤酒造。神奈川県には十四の酒蔵があるが、そのうちの五つが、この一枚の盆に乗っていることになる。

飲み進めると、県内といっても味の幅がずいぶん広いことがわかる。すっきりと辛いもの、米の甘さが前に出るもの、酸がきれいに立つもの。同じ神奈川の水と米から、これだけ違うものができる。鮨と合わせながら、札を並べ替えるようにして飲んだ。
横浜で食事をするとき、私はつい海の見える席を探してしまう。けれどこの夜のように、中庭の暗がりに向かって座り、九席のカウンターで手元だけを見ている時間も悪くない。特別な日というのは、たぶん場所の派手さではなく、そういう静けさで決まる。
あわせて読みたい:横浜の週末
- インターコンチネンタル横浜Pier8で過ごす年末年始 — 同じホテルに泊まった日の記録
- ホテルニューグランド「ル・ノルマンディ」の朝食 — 海を見ながらの朝
- BASEGATE横浜関内で日曜ブランチはしご — 関内の新名所
- 横浜赤レンガとLarboardの海辺グルメ — 埠頭の昼
※2026年8月訪問。価格・営業情報は訪問時点のものです。
📖 この体験は、Kindle書籍に収録しています
『Private Wisdom 海辺の週末の贅沢』——大人のための旅エッセイ。Kindle Unlimitedなら追加料金なしで読み放題です。
▶ Amazonで読む(Kindle Unlimited対応)関連記事


Comments