「滋味深さ」とは、味の奥に広がる記憶と体験のこと。静けさの中に在る贅沢を求めて、私たちは百済参鶏湯を訪れた。
■ 明洞の朝に息づく、やさしい湯気
韓国・ソウル、明洞の中心地に佇む老舗「百済参鶏湯」。朝8時台だというのに、店内は日本人観光客でにぎわい、静かに席を埋めていた。清潔感ある空間に漂う、薬膳と鶏の温かな香り。
■ 薄味の奥に潜む深み — 参鶏湯という贈り物
運ばれてきた参鶏湯は、湯気の向こうで静かに佇んでいた。透き通るようなスープに、まるごとの鶏、もち米、高麗人参、ナツメ、栗。ひと口すするごとに、身体の中心へと温かさがしみわたる。
味は薄めだが、まるで丁寧に引いた和風の出汁のように、奥行きのある旨味が広がっていく。
■ 好みの違いが、旅の豊かさになる
高麗人参の香りは、正直、私には少し強すぎた。しかし、妻はそのほのかな苦味と土のような深みを気に入り、夢中で食べていた。娘も「おいしいね」と言って、にこにことレンゲを運んでいた。
同じ料理を囲みながら、それぞれの“好き”や“苦手”を共有する。そこに、家族という関係のあたたかさがある。
■ 観光地での“静けさ”を感じるということ
朝の明洞。人の多さはあるが、百済参鶏湯の店内にはどこか“整った静けさ”があった。英語や日本語が飛び交う異国の空間で、鍋の湯気だけが会話のテンポを整えてくれる。
どこにいても、自分のリズムで過ごすこと。それこそが、旅における一番の贅沢なのかもしれない。
■ Private Wisdom的まとめ
百済参鶏湯での朝食は、「健康食を食べた」以上に、「静かな記憶を味わった」体験だった。旅先での食事は、単なる栄養補給ではなく、その土地の文化や空気を味わう行為だ。
そして、家族それぞれが“好きなもの”に気づき、共有し合う時間が、何よりも贅沢だった。
富とは、自由に感じられる時間のことである。